学校の夏休みの宿題は、いつからこんなに多くなったのだろう・・・。

昔は、夏の冊子が1冊あって、あとは絵日記と自由研究くらいだったような気がしますが。

まあ、真面目にやったら夏休みなんてなくなりそうですね。

とことんの生徒たちも、学校の宿題には苦労しているようです。

今日あたりも「学校の宿題が終わらない!!」という悲鳴が聞こえています(>_<)

 

さて、学校の宿題と塾の宿題は、基本的に性質が違います。

 

学校の宿題=評価される提出物

塾の宿題=学力を付けるための練習

 

したがって、内申が気になる中学生なら

学校の宿題 >> 塾の宿題

ですが、

大学受験生や「俺の受ける高校は内申なんか見ないし」という中学生は

塾の宿題 >> 学校の宿題

となります。

 

根っからの自由人、自立した人間であれば、

「自分のためになると思えた物だけやる」

という宿題を鳥瞰する視点を持つことが出来るのかもしれません。

 

ただこの場合、不遜にも、自分に理解できない物は価値がない、という態度になってしまうかもしれませんね。

例えば、文楽を見て、「俺にはわからないから価値はない」という大人になってしまうかもしれません。

価値があるかどうかは、いくらか我慢して勉強してその道の通にならないと言えないのですが。

 

若いと言うことは不遜であっても許されると言うことですから、「役に立たない宿題はやらない」といって一波乱起こすことをお勧めします。そうでないといつまでたっても、知ってる漢字を練習させるような困った先生がたに、目覚めていただくことが出来ませんからね(^^)。

(日本人の労働生産性が低いのは、知ってる漢字を練習して勉強したと思う生徒を、学校が量産しているからに違いありません。)