塾では、レベルチェックテストというミニテストを行い、身についていない分野を洗い出してそこだけを指導しています。できている問題を解かされる時間を省略して出来ていない分野をしっかりと学ぶためです。
このレベルチェックテストでカンニングする生徒には何が欠けているのでしょうか?
倫理観?規範意識?
私はその子に欠けているのは「当事者意識」だと思います。
塾では問題の解き方を教えて、それを身につけるための問題練習用にExerciseというページがあるので、そこを宿題としています。
それをやって来ない生徒には何が欠けているのでしょうか?
長年、学習習慣が欠けているのだと思っていましたが、それだけではないようです。やはりこれも「当事者意識」の欠如が影響しています。
学校の宿題が激増したのは、脱ゆとり教育に入ってからですが、近年の宿題量は半端ないですね(^^;)。
学校の宿題は評価されるものなので、内申を気にしない人以外はやるしかありません。提出物を評価するということ自体の時代遅れ感もありますが、その無駄な内容には驚きを禁じ得ません。他人の評価のために頑張るわけですから、盲目的に言われた課題を提出すればいいわけで、そこに当事者意識は邪魔なだけです。
逆に、成績を上げるのは、仕事と同じで当事者意識が重要です。
出された宿題も「これは目標達成に役に立つかどうか」という当事者の目で精査し、必要性の高いものを丹念に仕上げる。目標達成に無意味なものはやらずにその時間を節約する。目標達成に無意味であるがやらないと文句を言われる類のものは、制限時間を設けてその範囲で出来るレベルの完成度(低い完成度でOK)で提出してしまう。それが成績を上げる考え方です。
松戸市では部活を頑張る生徒も非常に多いわけですが、さて当事者意識を持って練習している生徒はどれくらいいるのでしょうか。言われたことを過労死直前レベルまでやらされれば、相当強くなるでしょう。
しかし、そんな奴隷のような頑張り方では、指導者が変わってしまえば成長は止まってしまうでしょう。自分が去った後、部活が弱くなることを指導者はどう捉えているのでしょうか?「やっぱり俺じゃないとダメだな」と思っているのでしょうか?
真に優秀な指導者なら自分が去った後も、強くいられるように指導をすることを考えてもバチは当たらないでしょう。難しいと思いますが、生徒の独立心を育てるのです。生徒に当事者意識を持って練習を考えてもらうのです。
逆にカリスマ指導者に対する依存心を育んでは、当然、部活の頑張りが勉強に(将来に)生きることもないわけです。甘い青春の「思い出」の他には、何も残らないでしょう。
もし、当事者意識を持って部活に取り組んでいた生徒なら、勉強も同様の意識ですぐに成果を出せるでしょう。
さて、12年間の小中高の学校教育に当事者意識持った生徒を育てるのはなかなか困難だろうとは思います。
協調性などと称してその逆ばかりをやっていますからね。
だからこそ、それにもかかわらず当事者意識を持てれば、むしろ周りはバカ正直に無駄な宿題(仕事・作業)をやってますから、飛び抜けて仕事のできる人間になることは簡単なのかもしれません。
同調圧力を気にするだけの「学校人生」から、人生を自分に取り返すチャンスとして受験勉強を使ってもらえれば、パズルゲームでしかない受験勉強もとても有意義になると思います。